ここは海抜2.8メートル

ここは、自分のための雑記置き場です。

記録について

これはここ数カ月の間に感じていることについての記録です。
今年の3月あたりから少しずつと出掛けられなくなり、家に籠るようになった。はじめは大体読書だけで一日を終えていたが、それも辛くなってきて、部屋の片づけをするようになり、卒業してから手をつけていなかった大学のゼミ関連の書類の整理をした。
先生から配られた資料、自分や他のゼミ生のレジュメ。それらを見返していたらあっという間に時間が経って、そしてどうしても日付順に並べたくなった。何のテーマで話して何を思ったか、どう影響を受けたか、先生はどのタイミングで何をアドバイスしてくれたか。並べることで忘れていた時間のあらすじを思い出せると気がついた。

そういえばもともと日付というか、ある一日や期間の時間の流れを覚えておくことに執着していたな、と思った。それはわたしが海抜3メートル未満の場所に住んでいるから。写真や手紙、日記、どこかで買ったお土産とか色々なものを失った時、あらゆる記憶にアクセスできる自信がないから。もしも記憶の大部分がぼやけてしまったら、きっと悲しい気持ちになる。既に悲しい気持ちになることはあって、例えばわたしは音の記憶力が特に悪いのか、たまにしか会わない人の声を忘れてしまう。何人かの亡くなった人たちの声はもう忘れてしまっている。あとは、少し通らないでいるうちに住んでいる町のある場所が更地になっている時。大抵そこに何があったのか思い出せない。
そういう悲しいことが一気に起こったら困るので、執着してしまう。

それと日付の重要性についてもう一つ気づいたことがある。
ゼミの資料整理をしていて、今がこの状況になったことにより自分の卒業研究はコロナ以前のものになってしまうのだと思った。わたしの卒業研究は関連ニュースを気にかける限りゆるやかに継続していけるものだったはずなのでそれが途切れてしまうのは悲しい。だから現在の関連ニュースはなるべく追うことにした。
研究テーマは水族館についてだったので、資料になるのは新聞、ネット記事、各施設の公式発表です。新聞記事を切り取る時は必ず日付を書いておく(当然のことですがわたしはよく忘れます)。新聞記事は記事の大きさにも意味がある。ネット記事と各施設の公式発表は水族館のものだけでなく類似施設(動物園、博物館、美術館、図書館)のものも集めるし、世間の雰囲気を表すものも必要。新聞でもネットでも、記事はどのメディアがどれくらいの規模で何を取り上げていたのかという意味でも資料になる。
また自分の行動や職場の雰囲気についても記録しておく。いつまで遠出していたか、いつ何を躊躇うようになったか、職場の感染対策はどう変化していったか。
そうすると立体的にこの時間を記録できるので、細かく日付を控えていくことは大切だと思いました。(普段から政治経済に関心のある人にとってはこれが普通だと思いますが)
学生の頃と違って決して楽しくはないのだけれど、「あの頃は……」とこうなる前の日々を思い出し続けるのもしんどいし、研究中にインタビューや講演会で話をしてくださった方々がわたしの生活と地続きの場所でどんな問題に直面してどんな工夫をされているのか、何を思っているのか、目を向けないのは嫌だと勝手に思って、調べることにしました。

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これは卒業研究データを入れていたものです。海遊館にあったガチャガチャの正座カマイルカです。

ここはほぼ日記のつもりなのですが、なんとなく公開しているので時々誰かに語りかける口調になります。

『ソフィ カル―限局性激痛』について

家から自転車で20分ほどの場所にある公園に、大きなミモザの木があった。一昨年の春に見つけて、花が咲くのを毎年楽しみにしていたけれど、この間行ったら切られていた。切られていた、というのはもしかしたら誤りで、後になってミモザの木がある場所を調べていたら、あるお寺にあった木が昨年の台風で折れてしまったという情報を見つけたので、あの木もそうだったのかもしれない。

 

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元々、あらゆる景色は永遠のものではない、という気持ちを常に抱えている。それは海の近くで育ったからだと思う。
それでも大きな木というのは、(種類によるけれど)自分が生まれるよりも前からあって、自分が死んでからもそこにあり続けると思える存在だった。
けれど鶴岡八幡宮の大銀杏も台風で倒れてしまったし、段葛の桜たちも変わった。

この間、職場の食堂でたまたま近くに座った先輩は、この季節になると近所の枝垂桜が咲くのを楽しみにしていたのに、その木は切られ、今はその土地に家が建てられているところなのだと言っていた。わたしがミモザの話をして写真を見せたら、彼女も枝垂桜の写真を見せてくれた。「撮っておいてよかった。あなたもそれ、大事にしなきゃね」と言われた。

 

2月、原美術館に『ソフィ カル―限局性激痛』という展示を見に行った。

 

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『限局性激痛』1999年
1984年、私は日本に三カ月滞在できる奨学金を得た。10月25日に出発した時は、この日が九十二日間のカウントダウンへの始まりになるとは思いもよらなかった。その果てに待っていたのはありふれた別れなのだが、とはいえ、私にとってそれは人生で最大の苦しみだった。
私は日本滞在こそが悪の根源だと考えた。1985年1月28日、フランスへ帰国すると厄払いのために、滞在中の出来事ではなく、私の苦しみを人に語ることに決めた。その代わり、友人だったり、偶然出会っただけの人だったりするその話し相手にも、自分が最も苦しんだ経験を語ってもらうよう頼んだ。ほかの人々の話を聞いて私の苦しみが相対化されるか、自分の話をさんざん人に話して聞かせた結果、もう語り尽くしたと感じるにいたる時まで、私はこのやりとりを続けることにした。この方法は根治させる力を持っていた。三カ月後、私はもう苦しまなくなっていたのだ。厄払いが成功してしまうと、ぶり返すのが怖かったので私はこの一見を忘れ去った。十五年たって、私はそれを掘り起こすのである。(展示で配布されたソフィ カルによるステートメントより)

この展示は19年前に開催されたものの再現展だった。彼女の失恋体験、「人生最悪の日」までの出来事を手紙や写真で表した一部と、その不幸を誰かに語り、相手からも人生最悪の不幸について話してもらうことで癒されていく過程を文章と写真で表した二部から構成されている。

好きだと思ったのは92日間の記録だ。趣旨からは外れているかもしれないけれど、知らない人の日常、それも外国の人の日本での日常というのは、新鮮なものだし、しかも彼女が日本にいた頃、わたしはまだ生まれていなくて、それがとても面白いと思った。

 

原美術館は2020年12月に閉館となる。

初めて行ったけれど、木漏れ日がきれいで、館内には不思議なドアやスペースがあって、楽しい建物だった。
企画展の途中にあったドアは、職員用の部屋に通じているんだろうと思っていたのに20歳くらいの女の子が入って行って、そこも展示スペースだと分かり、入ってみると奈良美智氏の展示室になっていた。わたしが入るのを見た女性が後から入ってきて、「ここも展示だったのね、分からなかったわ」「わたしも他の方が入るのが見えて」「面白いわよね、ここ。元々はお家だったのよね」とお話をした。

 

木と同様、建物も永遠の存在ではない。ソフィ カルだって、残すつもりでなければ92日間なんて長い月日を取り出し可能なものにすることはできなかったのではないかと思う。

全部、文字や写真で残さなければなくなってしまうかと言うとそんなことはないと思う。それが具体的にいつのことでどんな風に見えていたのかを思い出せなくなっても、なんとなく存在し続ける。けれど、あの美術館がなくなってしまったら、あの日見た木漏れ日や作品たち、知らない人との会話にアクセスしづらくなる。それは少し寂しいな、と感じて、時々は、彼女みたいに残しておきたいと思った。

「今日から春」という感覚からはじまる話

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2017年春に放映されていた「LINE MOBILE」のCM。この交差点編には、初めて観た時から心を掴まれ続けている。
少し黄色がかった光は、まだ日没の時間が早く感じられる春の午後(その頃の温度やにおいまでも)を想起させる。あの光に当たったものが、こうやって浮かび上がるのを見たことがある。この光を知っている、と思った。

そこに流れるのは、キリンジ『エイリアンズ』。この曲の歌詞に季節を表す言葉は何もないけれど、わたしは春の夜の曲だと思っている。

冬から春になる頃の感覚が好きだった。毎年、「今日から春ね」と分かるのが面白かった。「今日から春」っていう感覚、あるよね? と周囲の人に尋ねまくって気づいたけれど、これは、花粉症や「出会いと別れ」が憂鬱な人たちにはあまりない感覚のようだ。彼らはそれどころではないのかもしれない。

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冬眠から覚めるような、花を咲かすような、感覚。同じ生物として体や脳に元々備わっている感覚なのかもしれないと思ってきた。
あの映像と『エイリアンズ』の組み合わせは、その感覚を見事に生じさせるのです。

「これ知っている」という感覚。デジャヴとも少し違うその感覚を探すために、写真や映像、小説、絵画、音楽に触れてきた気がします。

 

先日、鈴木理策氏の写真展『知覚の感光板』を見に行ってきました。タイトルは画家セザンヌの言葉。

セザンヌは)芸術家の身体を感覚の記録装置とみなし、受け取った全てを画布に定着させようと試みました。匂いや音など視覚以外の感覚も色彩によって表すことができると信じ、「目に見える自然」と「感じ取れる自然」が渾然一体となるように描いたセザンヌの絵画は、「何を描いたか」ではなく「モチーフから感じ取ったもの」そのものを私たちに見せてくれます。

カメラの機械的な視覚は、人間の見え方とは大きく異なります。私たちは行動に必要な情報だけを取捨選択してものを見ているからです。カメラの純粋知覚は私たちが見捨てた世界の細部をも写し出してしまう。(『知覚の感光板』ステートメントより一部抜粋)

ここで展示されていたのは、近代の画家たちがモチーフに選んだ土地で撮影した写真。そこに写っているどの場所にも行ったことはないけれど、その場の空気の流れ、光の眩しさ、草のにおい、湿度を、感じられた。加えて、うるうるした植物を見た時の渇きが癒える感覚とか、木漏れ日の下で感じる、光をそのまま瓶に詰めてしまいたくなる気持ちとか、そういうふわっとしたものまでその場に生まれる。
よく、いい写真に対して言われるような「動きがある」というのとは絶対に違う。「奥行きがある」というのとも違う。写真は平面でしかないのに、与えられる情報量が多いのです。

 

また、この日は上野のフェルメール展にも行ってきた。ポスターに大きく使われていたのは『牛乳を注ぐ女』だったけれど、一番楽しみだったのは『手紙を書く婦人と召使い』だった。

フェルメールを好きになったきっかけはフェルメールブルーのうつくしさだったけれど、画集を見るうちに「白」に心惹かれるようになった。自分が知っていた「白」よりもさらに明るい「白」。日常生活ではあまり見かけないほどの「白」だけれど、確かに見たことがある「白」。
「光の魔術師」とも言われるフェルメール。生活は光に溢れているけれど、フェルメールの特別な光ってなんなのか。最も近いのは、深海で生き物たちが潜水艇の光に照らされた時のくっきりとした透明感だと思う。それもまた、映像でしか見たことのないものなのですが。
8つの作品が並ぶ中、『手紙を書く婦人と召使い』はまるで発光しているかのようで、目が離せなかった。他の作品にもそれぞれいたのだろうけれど、この作品を全く動かずに見つめ続けている人がいた。わたしの隣に立った1人で来ていたであろう女性は、この絵を見て小さく「すごい」と漏らした。それにこっそり、マスクの下で微笑んでしまった。ひとりごとも1人笑うことも、誰にも気づかれず許される空間で、南極のコウテイペンギンみたいに人と密着した状態で、いつか見た「白」に向き合う。

それと、映画『真珠の耳飾りの少女』のすばらしさを再確認しました。フェルメール作品を見る度に思い出す。

 

時代や場所、人種に関係なく誰かと感覚を共有しているかもしれない。そう思うと、ちょっとだけ寂しさが紛れる気がする。

川内倫子氏の個展『Halo』と荒木経惟氏の個展『センチメンタルな旅 1971‐2017‐』について

(2017年の日記から)

 

7月8日 川内倫子氏の個展『Halo』
展示されていたのは9枚。写真集を買った。

この写真集は、大きく分けて3つのテーマで構成されている。
1.ヨーロッパの大きなムクドリの群れ
2.中国河北省の祭「打樹花」
3.出雲・稲佐の浜で行われる神事

小さな鳥が集まってできた大きな群れ、そこから降ってきた糞、ボンネットや地面に積もった糞、打樹花の光る鉄くず、稲佐の浜で降ってきた雨、ダイヤモンドダスト

陽を受けて輝く波打ち際、転がった鉄くずが照らす地面、夕焼け(多分水平線を写した写真)、御神火。
鉄くずは火であり、雨であり、夜空であり、鳥の大群である、真ん中の要素なんだと思う。そうして集まった9枚の写真が並ぶ空間にいるのは、とても気持ちがよかった。


7月22日 荒木経惟氏の個展『センチメンタルな旅 1971‐2017‐』

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『愛のバルコニー』を初めて見た時のこと。本屋で写真の棚の前を通りかかって、目に入った背表紙のタイトルがとても気になって手に取った。ページを一枚ずつ捲る途中で、もしかして、と思っていたら、予想した通りの写真が現れた。初めに感じたのは多分、言語化できないシンプルな悲しさで、うっかりという感じで涙が出た。そして少し胸のあたりが痛くなり、これを作品化することへの疑問を抱くとともに、優しさと愛情を感じた。

優しさと愛情については、自分でもどうして感じたのかよく分からなかった。けれどきっと誤りではないとも思った。ただ被写体となったこの奥さんを使い潰していなければいいと願ってしまった。それはきっと視線が優しかったから。

『愛のバルコニー』を見る前から、作品のためにリアルを利用するということに嫌悪感があった。その嫌悪感は『愛のバルコニー』と繋がっているような気もしたし、全く違う気もした。

それらの記憶は頭の片隅にあって、けれどあまり意識しないままポスターに使われている舟の上の陽子さんの写真を見たくて展示に行くことにした。
ゆっくりと展示を見て、やっと分かった。これらは荒木氏の写真であるけれど、被写体である陽子さんはとても共犯的であったのだと。

わたしの嫌悪感の正体は、たまたまくっきりとした虹に出会ってそれを撮り、「ほらね、きれいでしょ」みたいな被写体だけでどうこうなることへの感情だった。その虹は、悲しい出来事でも代替可能だ。写真はそのままを写すから、誰かとの死別は当然インパクトがあり、共感されやすい。だからこそ、死別をテーマとする時は慎重にならなければ重みを失ってしまう。

けれど荒木氏が撮った陽子さんの写真は、陽子さんが荒木氏だけに見せたのであろう表情や空気感、積み重ねた時間が詰まったもので、その関係をはじめからおわりまで写すのは当然のことのように思えた。

写真新世紀展 デレク・マン氏『What Do You See, Old Apple Tree?』について

写真新世紀展に行ってきた。
一番好きだと思った作品は、デレク・マンさんの『What Do You See, Old Apple Tree?』でした。

 

この作品は、りんごで作ったピンホールカメラで撮影されたものである。

イギリスで、都市開発によって姿を減らす果樹園。この作品は果樹園を設立・復元するためのプロジェクトで、チームメンバーやボランティア、訪れた人々を写真に収めたもの。

地元のボランティアとともにりんごを採り、それでカメラを作る。写っている人々の何人かは笑っていて、りんごを見て笑ったのだ、と思うととてもよかった。カメラとして使用したりんごはちゃんと食べる。

会場ではそれらの写真だけでなく、カメラとなったりんごの写真とドキュメンタリー映像が展示されていた。
意図からカメラのりんごを食べるというおわりまで、質量がものすごいし、ドキュメンタリーも面白く、制作の流れ全てをうつくしく感じた。ステートメントの「果樹園の存続に誰一人欠かすことのできないチームメンバーやボランティア」という言葉をはじめ、作品全体に優しさが溢れていた。

 

なかなかその場を離れたくなくてずっと見ていたら、泣きそうになりました。自分の中でうつくしさの意味が一つ増えた気がする。この作品を見られたことに感謝します。

「世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこんでいる」

(この記事は森見登美彦氏の作品『ペンギン・ハイウェイ』と『夜行』の物語の核心に触れています)

ペンギン・ハイウェイ』を読んだのは、高校生の時です。書店で平積みされた単行本の表紙に惹かれて手に取り、1ページ読んですぐ、「これは絶対好きになる」と思ったし、著者名も見ずに一気に読んだ。あとから森見登美彦氏だったと気付いて驚いた。なぜならその1年前、『夜は短し歩けよ乙女』を読むのにとても時間を掛けたからだ。うまく読めず、けれど『夜は短し歩けよ乙女』は当時同級生の間でも人気で、わたしの頭が悪いからかな、と寂しく思ったりした。わたしも中村佑介氏のきれいでかわいいイラストが描かれたあの本を大切に持ち歩いたりしたかった。わたしが書店で『ペンギン・ハイウェイ』を見つける前には、『四畳半神話大系』のアニメも始まって、それを楽しむ空気も羨ましかった。結局、アニメ『四畳半神話大系』を観たのは2017年で、あの主人公のナレーションと同じスピードで原作を読んだらスムーズに読めた。そして映画『夜は短し歩けよ乙女』を観る前に、それっきり手を伸ばさなかった原作にもう一度チャレンジしたら、今度はすんなりと頭に入った。早くアニメ『四畳半神話大系』を観ておくべきだった。

森見登美彦氏の作品を好きになるまでに、随分遠回りした気がします。

 

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ペンギン・ハイウェイ』は人生で最も好きになった小説です。大学生になってから沢山本を読んだけれどここまで好きになったものはなかった。
探検、ペンギン、〈海〉、歯科医院のお姉さん。「郊外の新しい街」という舞台は物語に集中させてくれるし(森見氏の作品といえば京都ですが、それはそれで大好きです)、子どもの頃の視点を思い出すような描写、小学生の主人公と対等に接する大人たち。

 

そんな大好きな作品だったから、映画化はとてもうれしかった。


お姉さんが投げたコーラの缶がペンギンに変わる瞬間、アオヤマ君が見る海の夢、〈海〉のプロミネンス、〈海〉の中の海辺の街。自分でも何度も想像したけれど、やっぱり映像で観たかった。
映画化すると聞いて期待したシーンはやっぱりきらきらと描かれていて、宝箱をもらったかのような気持ちになった。

好きな作品が映画化される時にいつも楽しみなのは、どこが削られるのか、ということ。
ペンギン・ハイウェイ』で印象的な登場人物はお姉さんだけれど、実際に多く描かれているのはどちらかといえばウチダ君やハマモトさんといった同級生たちとの日常だ。
しかし映画では、お姉さんとのやり取りが多く描かれることとなった。
お姉さんを演じた蒼井優氏は映画パンフレットの中で「(お姉さんは)アオヤマ君という歳の離れた少年を可愛がっているようでいて、実はとても信頼しているんです」と語る。
小説を読むだけでも登場人物の心理や他者との関係性、台詞の抑揚などは想像できるけれど、声優(キャスト)や監督などの解釈が反映された声を聞くということは、物語を享受するための一つの手段だ。
映画化により削られる部分が発生し、その代わり何かが丁寧に描かれる。
そして、何度も読んだ作品がすばらしい映画になった時、削られたすてきな部分や小説ならではの良さが浮き彫りになるというたのしい現象が起きたりもする。

まずは、文章が本当に美しいということ。

「空き地の真ん中までいって空を見上げると、自分がサバンナにころがっている石ころになったような気がした。とはいっても、これはあくまでたとえである。石ころの気持ちは、さすがのぼくにも分からない。
 空はクリーム色のまじった水色で、宇宙科学館のプラネタリウムで見た空に似ていた。ドームのようにまるい空を、くっきりした飛行機雲が横切っている。飛行機雲の先端には小さな旅客機があった。じっと見つめていると、旅客機はすべすべした曲面を滑るように動きながら、今も飛行機雲をちょっとずつ延長しているのだ。」(p.21)

「水に完全にもぐってしまうと、音が遠ざかって、ふしぎな静けさがぼくをつつむ。自分が泡を吐く音が大きく聞こえる。ぼくのまわりには同級生たちの体がいっぱい見える。もぐってギュッと目をつむったまま顔をしかめている子もいる。向こうに見えているのはプールサイドに座って水の中に垂らしているウチダ君の足だ。プールの底から見上げると、水面がゆらゆらして光っていた。」(p.167)

子どもの頃に確かに抱いた感覚がうつくしい文章となって散らばっているのもこの作品の魅力の一つである。

次に再確認したのは、それらの感覚の中で最も丁寧に描かれている、「死」の存在。そして、ウチダ君というキャラクターのおもしろさだ。
主人公アオヤマ君の妹が「お母さんが死んじゃう」と泣くシーンは映画でも扱われていたが、原作にはその続きがある。
アオヤマ君はウチダ君と川を探検をしている際、大きな古い松の木を見て、「木は人間より長生きだろうね……地球の歴史に比べたら、人間はすぐに死んじゃうね」と言う。
そして妹のことをウチダ君に話す。ウチダ君はとくに夜になるといつも考える、と言う。

「ほかの人が死ぬということと、ぼくが死ぬということは、ぜんぜんちがう。それはもうぜったいにちがうんだ。ほかの人が死ぬとき、ぼくはまだ生きていて、死ぬということを外から見ている。でもぼくが死ぬときはそうじゃない。ぼくが死んだあとの世界はもう世界じゃない。世界はそこで終わる」(p.288)

「ぼくは生きているうちにいろんな事件に出会って、死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。どんなときでも、どちらかだよね? そのたびに世界はこうやって枝分かれする。それで、ぼくは、自分というものは、必ず、こっちの僕が生きている世界にいると思うんだよ。……枝分かれがくるたびに、ぼくはこっちの生きるほうへ、生きるほうへ進んでいくんだ」(p.289)

科学の子であるアオヤマ君とハマモトさんの影に隠れがちなウチダ君だけれど、スズキ君の恋心やハマモトさんの嫉妬心を理解している。「無」や「世界の果て」、ブラックホールに対して「こわいなあ」と言うし、探検に出る時はいつも「命の危険がある」からと底なし沼に用心しているけれど、「死」から目を逸らさずに結論を出す。それは彼が以前暮らしていた「県境の向こうの街」の病気の友だちと関係しているんだろうか。

また、彼の仮説は『四畳半神話大系』や『夜行』といった作品で扱われる並行世界を想起させる。

「世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこんでいる」(p.225)

まるで宇宙のように無限に広がる世界が、この作品の中にはもぐりこんでいるのかもしれない。アオヤマ君とお姉さんの別れは死別とは異なるけれど、近しいものである。しかし、『四畳半神話大系』や『夜行』のように、枝分かれした世界が交差する瞬間もあるかもしれない。

『透明なゆりかご』最終話を観て、『海街diary』を思い出した

『透明なゆりかご』最終話を観た。
産婦人科を舞台に、高校の准看護科に通うアルバイトの主人公アオイの視点を中心に、中絶や母体死亡、14歳の妊娠などを描いた本作。最終話のタイトルは「7日間の命」。

由比産婦人科に通う妊婦・灯里の胎児の心臓に異常があることが分かる。何もしなければ誕生後一週間も持たないこと、治療をしても長く生きるのは難しいと告げられた灯里と夫・拓郎は中絶を考えるが、灯里が胎動を感じ始めたことをきっかけに妊娠継続を選択する。
拓郎は積極的治療を行うことを前提とし、子どもが入る予定のNICUがある病院の近くに引っ越すことを視野に入れるなど前向きに動いていたが、30週に入ってから告げられた「生まれてすぐに心不全を起こす可能性があります。……一日でも長く生きられるように頑張りましょう」という言葉に灯里の気持ちは揺れる。
そんな灯里に、院長の由比は「本当に積極的治療を受けさせますか」と尋ねる。「何を今更…」と呟く拓郎、大きな目を開いて由比を見つめる灯里。
「本当にこの子のためになるのかなって。できることは何でもしてあげたい。でも、もしかしたら何もせずに看取ってあげるのも智哉(お腹の子)のためにできることなのかなって」
動揺した拓郎は「だったら先生決めてくださいよ」と言う。
それに対する由比の言葉が印象的だった。
「治療すべきだと思います。それは僕が医者だからです。医者は最後まで治療の可能性にこだわります。それが命を平等に扱うことだと考えます。ですが家族は、たった一人の大切なその人を思って決めればいいと思います。正解も不正解もありません。まわりのことなんか考えなくていい。お二人で決めてあげてください。じゃないときっと後悔が残ります」

 

思い出したのは漫画『海街dialy』だ。

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この物語は四姉妹の父が癌で亡くなることから始まり、加えて長女・幸(看護師)が緩和ケア病棟に配属されることで、度々緩和医療に関するエピソードが登場する。

例えば幸の病棟の患者の上田さん。痛みのコントロールが上手くいき状態が落ち着いたことで、彼の奥さんが医師に言う。(5巻)
「主人はとても元気になったみたいで。娘とも話したんですけど、また治療をはじめたらどうなのかなって」
しかし当の上田さんは幸にそっと打ち明ける。「心配してくれるのはありがたいんだけどさ。ほらいろいろ、抗がん剤だとか新しい治療法とかって探してくるだろ? なんていうか…覚悟が鈍るっていうかさ」

8巻では幸とすず(四女)が緩和ケアについて語る。
「痛みや気持ちの悪さを和らげるのが一番の目的なの。苦しさが和らげば、患者さんはまた時間を取り戻すことができるでしょ。家族との時間だったり、治療しながら仕事を続けたり…人によっては自分の亡くなったあとのことを考えたりね。
どんなに手を尽くしてもすべての病気が治るわけじゃない。治らないことによりそうのも大切だと思ったの」
そう話す幸にすずは「お父さんも時間を取り戻すことができたのかな」と言う。
「お父さんがもうあんまり長くないってわかった時、緩和ケア病棟をすすめられたの。でも陽子さん(すずの父の最後の妻)、そういうとこに入ったらすぐ死んじゃうからやだって。あたし緩和ケアのこと調べて説明したんだけどどうしてもやだって。
お父さん、陽子がそう言うならって、抗がん剤とか最後までがんばちゃって。とってもつらそうだった。
あたしももっと強く言えばよかった。そうすればお父さん、あんなに苦しまなくてもすんだかもしれないのに」


灯里たち夫婦は積極的治療を受けさせないことに決め、出産後、大切に三人の時間を過ごす。そして七日後、智哉は亡くなる。

花が置かれたエンゼルボックスを前に、アオイと二人きりになり、灯里は言う。
「智哉は一日でも長く生きたかったかもしれない。わたしは自分の希望を叶えたかっただけで、この子のためって言いながら、逃げたのよ。
智哉は、どう思ってたんだろう…」

このドラマで、アオイは何度も「人の気持ちが分からない」と言う。他の人には分かることを自分は分からないと感じるし、近くにいた人の気持ちが分からなかったと自分を責めたりする。
しかし、灯里に
「相手の気持ちが分からないって苦しいですよね。でも絶対に分かんないんですよね、自分じゃない人の気持ちは。
だから一生懸命考えるしかなくて、それで自分が出した答えを信じるしかない。
……わたしはうれしかったです。母にぎゅっとしてもらえた時、すごく。子どもがお母さんにしてもらいたいことなんて、それくらいなんじゃないでしょうか」と言う。


『透明なゆりかご』というタイトルは原作者沖田×華氏が連載当初のメインテーマだった「中絶」からイメージしてつけられた。「存在していたのに認識されることなく“ないことにされた”中絶胎児たちの命。存在が透けているような不安定感、不透明感を出したくて」

www.excite.co.jp

(2015年5月14日exciteニュース「生まれたばかりの我が子を見て『ハズレだ』と言った母親の心理。産婦人科実録作者に聞く2」より)

沖田氏の考えとは異なるかもしれないが、中絶胎児のみならず今生きている人たちも「透明」になり得ると考える。というより、わたし自身が「透明」にしてしまう可能性があると思った。
予め長く生きるのは難しいと言われる新生児や終末期の患者、当事者の願いや生きていた時間を意識するのを忘れ、「長く生きられれば幸せだろう」などと軽々しく考えてしまうかもしれない。

考えればキリがなくて、もし自分が答えを出さなきゃならない立場に置かれたら、アオイが言うように、「自分が出した答えを信じるしかない」。けれど、想像は単純な言葉となるだけで、そして言葉は当事者からは遠ざかってしまう気がする。

 

そのようなテーマの中、ぎゅっとしてもらうことが子どもが親にしてもらいたいことだ、というアオイの答えはすとん、と胸に落ちた。それは感覚として理解できるからだ。

灯里の子どもの頃に亡くなった母は、物心ついた時には無菌室に入っていた。
「そばに行きたい。触っていたい。あなたの手はどれだけ温かいの? 髪はさらさら? 肌はふわふわ?
何かに隔てられたまま、さよならするのは、もう嫌」

 

全編を通して、皮膚感覚すらも伝わってくる『透明なゆりかご』。言葉に頼らないシンプルなその感覚をストレートに受け取るのは時にしんどさを伴うけれど、普段言葉にすることで零れ落ちてしまうものたちを忘れずにいられそうな気がする。